東京で普通に暮らしていると全くわからない沖縄ヘイトの実態

歴史

沖縄の基地問題を巡る議論の中で、本土から沖縄に向けられる批判的な発言の中には、沖縄の文化やアイデンティティに対する侮蔑や偏見が含まれている場合があります。これを「沖縄ヘイト」と呼び、沖縄のメディアや一部の市民団体は、こうした言説を差別とみなして問題提起を行っています。

典型的な例として、「沖縄の基地反対派には中国人や朝鮮人が大勢いるから、地元民であれば売国奴だ」という主張が挙げられます。このような発言は、沖縄の住民が基地反対運動を行う正当性を否定するとともに、民族的な偏見を含むものとされています。

一方で、沖縄側からは「我々にとって日本は祖国ではない」「琉球民族は中国の盾となる事を目的としていない」「米軍基地は本土の人達の基地だから、持って帰りなさい」といった反論がなされています。これらの発言の背景には、沖縄がかつて琉球王国として独自の歴史を歩み、ヤマト民族の戦争(太平洋戦争)に巻き込まれたという歴史的なトラウマが存在しています。

このような沖縄ヘイトの実態は、東京で普通に暮らしていると直接的に目にすることが少ないため、沖縄の問題として意識されにくいのが現状です。しかし、この問題を理解することは、沖縄と本土の関係を再考し、より公正な議論を行うための一歩となるでしょう。

ただし、沖縄のメディアも沖縄県と本土の間で分断が進むことに危機感を抱いており、「琉球民族」というアイデンティティと「沖縄県民」というアイデンティティを対立させたり、分けて考える動きには賛同しない姿勢が見られます。これは、沖縄が歴史的には琉球王国として独自の文化を持ちながらも、現在は日本の一部であるという現実を踏まえ、地域内外の連帯を重視しているためと考えられます。

沖縄メディアはこうした背景を持つ中で、沖縄の基地問題や差別的な言説に対する批判を行いながらも、分断を煽るのではなく、本土と沖縄の間で建設的な対話を促すことを目指しているといえるでしょう。

 【抜粋:八重山日報 2023/4/4】
現在の日本で、県民が「沖縄出身だから」という理由で不当な差別を受けるという事例は、まず見当たらないだろう。基地反対派に対する罵倒のたぐいをいちいち「沖縄ヘイト」と呼ぶなら、それは過去に実在した沖縄差別の歴史を、矮小化することにつながりかねない。
 本来は存在しない差別を、政治的な思惑であたかも存在するようにアピールするのは、沖縄自身のためにならない。条例に反対した野党・自民党の県議が「玉城県政が自ら差別を顕在化」させたと発言したのは、そういう趣旨だろう。
 われわれ沖縄県民として確認すべきは「沖縄ヘイト」は存在しないということだ。条例には罰則規定はなく、一部の識者から実効性を疑問視する声も出ているが、存在しないヘイトに罰則を設けることなど、そもそも不可能である。
 あらゆる不当な差別を解消するため、せっかく成立した条例だ。おかしな方向に運用されることがないよう、県民自身が絶えず監視しなくてはならない。
【抜粋:八重山日報 2023/4/4】

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